08.04.07 花弁 |
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春の象徴として毎年このころ美しい姿を誇るサクラ、特にソメイヨシノは、葉が出そろう前に花が咲そろうため、「何もないところに花が咲く」生命力の強さを象徴しているといわれます。 サクラは、あとから出てくる葉のために自らの花弁を地に落し、葉は秋に色付いて、春に芽吹く花のために自らの葉柄を断つのだと、どなたかに聞いた記憶があります。 記憶違いかもしれませんが、それはそれで良い話だと勝手に心にとどめているのです。 史実に交錯があるものの、三国時代少なくとも五百年の国史を誇る新羅王国のその都「慶州(キョンジュ)」は、「慶州歴史地区」としてまるごと世界遺産に登録されています。中でもそれに先駆けて個別に世界遺産登録された石窟庵と仏国寺(ソクラムとプルグクサ)は新羅仏教美術の最高峰と言われています。 王朝末期、自らの花弁を落し、高麗に帰順した新羅王朝は、あとになにが芽吹くことを期待していたのでしょう。 慶州市は韓国でもサクラの名所として知られ、こと普門湖の桜並木はまさに今日が見ごろなのだそうです。 昨深夜から明け方にかけての雨で、近所の桜も幾分花を落としたかに見えます。今週末あたりからきっと街には桜吹雪が舞い、季節が移り変わる毎に、自然の営みが、幾年も、幾千年もまさに営々と繰り返され、そして遺産にも時代を刻んでいくのです。 |
08.03.19 慰霊祭 |
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昭和19年6月7日、東公園(福岡市)にあった福岡市動物園で動物の慰霊祭が執り行なわれました。
戦局が悪化し、すでに閉園となっていた同園で、前日の6日に動物たちが処分されたためです。 エサが手に入りにくくなったことと、空襲の際市民を襲うおそれがあるという理由で、トラもカバもライオンもシロクマも皆殺されました。 しかし、終戦間際の混乱の中、慰霊祭だけは行なわれたという事実は、少しだけですが心救われるものがあります。 それから10日あまり経った6月19日、テニアン、サイパンの基地を飛立った200機をこえるB29が福岡の街を襲います。世にいう福岡大空襲。1000人に近い犠牲者を出し、多くの貴重な建物が焼失します。 戦争は甚大な人命と莫大な資産を奪います。その影で動物たちもまた、命を奪われていたのでした。 だれもいなくなった動物園は空襲の被害を免れました。しかし、戦争が終わってもその門が再び開かれることはありませんでした。 ところがその門柱だけは今も小学校の敷地内に残されおり、西洋を意識したノスタルジイを感じることができます。 仏教では霊獣とされるゾウ。当時多くの子どもたちに見守られたキリンをかたどった門柱に取付けられたゾウのモニュメントは、登校してくる子どもたちを今も静かに見守っています。 |
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08.03.12 ダンダラ積み |
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大正時代から昭和にかけて三井系の建物の設計を多く手掛けた建築家松井貴太郎は、かたわら建築誌などに書評をする建築評論家でもありました。 当時松井氏がチーフデザイナーを務めていた横河工務所の社長横河民輔の師である辰野金吾に対しても、「日本にしばしば用いられる赤レンガと花崗岩のダンダラ積みのごときは、吾人はもっとも醜悪なものだと思考する。」 などと辛口の批判をしています。 辰野氏設計の東京駅舎の目前に挑むかのように松井氏設計の東京銀行集会所(現東京銀行協会ビル・高層化)はありました。 また、松井氏の設計による三井物産小樽支店ビルは、辰野氏設計の日本銀行小樽支店の斜向かいに建てられました。 よほどのライバル心を燃やしていたのか、はたまた偶然なのか‥‥ 松井貴太郎の代表作で、重厚で威厳あるオフィスビルとして親しまれ、また一時GHQにより接収されていた歴史を持ち、永年に渡って有楽町の景観を支えてきた「三信ビル」は、建築家協会や民間のプロジェクトによる保存運動にもかかわらず、昨年10月に解体され、その雄姿を消しました。 また一つ歴史が消えたのです。 |
08.03.02 離見の見 |
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「離見の見にて見る所は、すなはち見所同心の見なり」
能楽を大成した観阿弥世阿弥親子の世阿弥による「花鏡」に収められている言葉です。 「離見の見(りけんのけん)」とは、舞台で演じている自分の姿を、客席で見ている観客の目で見るということです。 これはなにも能の世界に限ったことではありません。能以外の舞台でも、ライブやコンサートでも、また表現に限らずどのような仕事でも、「離見の見」すなわちそれを見させられる側の立場に立つということは大変難しいことであり、とても大切なことなのです。 「目前左右までをば見れども、後姿をばいまだ知らぬか。後姿を覚えねば、姿の俗なる所をわきまへず。これすなはち、「心を後に置く」にてあらずや」。 世阿弥はこうも言っています。自分の姿を見たとしても、それはどうしても前から見た姿であり、後ろ姿まではなかなか見ることができないものだと。 伝えたいことばかりを詰め込んで見せようとしても、それはひとりよがりに他ならず、表現にはなりえないものです。見させられる側にとってはたまったものではありません。 何事も一旦過信と思い込みを疑い、それを切り捨て、ものごとが独善的にならぬよう、「離見の見」を最近特に心掛けるようにしているのですが、「心を後ろに置く」ところまではなかなか容易にできそうにありません。 | ![]() |
08.01.17 沈鐘伝説 |
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「ちはやぶる金の御崎(鐘の岬)を過ぎぬともわれは忘れじ志賀の皇神」 万葉集にそう歌われた福岡県宗像市鐘崎。玄界灘に突き出たこの小さな岬には、その海中に古くから梵鐘が沈んでいるという伝説があります。 太古に朝鮮半島からの貢ぎものとして運ばれてきた大きな梵鐘が大波のために岬の突端で沈み、晴れた日には海底に沈んだ漁礁のようになった鐘が岬から見えたのだそうです。また波が荒れた日にこの鐘が海に音を響かせたという伝説から、このあたりから日本海に渡る海域を「響灘」と呼ぶようになったという説もあります。 数度の失敗の末に引き上げられた鐘は、実際には大きな岩でした。 神奈川県の小田原市に、根府川駅という東海道本線唯一の無人駅があります。海に面したこの小さな駅は、85年前の関東大震災の際に発生した土石流で、駅に進入中の列車もろとも海中に流され、112人の犠牲者を出しました。機関車と客車は戦時中の金属回収で引き上げられましたが、当時のプラットホームは根府川沖の海底にまさに漁礁のようになって今も横たわっています。 自分自身福岡西方沖地震を体験したはずなのに、すでに記憶がが薄れてしまっています。 6434人もの犠牲を出した阪神淡路大震災から13年目の今日、防災の意識を新たにしなければなと思うのです。 沈み鐘 鎮むる音とな 明石峡に 鎮めよみ魂 海の響きと (しずみがね しずむるねとな あかしやに しずめよみたま うみのひびきと)駄歌一首 |
08.01.08 不倒翁 |
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<起上り小法師(おきあがりこぼし)=会津の郷土玩具。何度倒しても起き上がることから縁起物として買い求められる。>
私もこどものころ、どなたかにこの「おきあがりこぼし」をいただいたことがあります。あれは会津の土産だったのか、どこにも似たような土産物があるのか、記憶の彼方にあるだけで今となっては確かめようもありません。 中国にも似たような玩具があって、「不倒翁」というのだそうです。 中華人民共和国建国から亡くなるまで首相を勤め、国内政策の献身さと、誠実な平和的外交から、中国民衆からも国外要人からも信頼が厚かったとされる周恩来は、スイス在住時代のチャーリー・チャップリンとも親交があったのだそうです。 文化大革命勃発後、党要人が次々と失脚する中、周恩来は最後まで自らの地位を守り、「不倒翁」の異名をものにします。 会津地方では、正月に「おきあがりこぼし」を家族の数より一つ多く購入し、一年間神棚に飾って家内安全、無病息災を祈るのだそうです。プラス一個は「家族が増えますように」との願いから生まれた風習だとか。 中国では今だ「一人っ子政策」が布かれていて、二人目の出産には罰金が課せられます。高額所得者はこの罰金を支払って二人目を三人目を出産するのだそうです。 中国の急速な経済発展を見るに貧富の差の拡大を想像するに易いわけですが、彼がいなければ故宮は灰になっていただろうといわれる周恩来が、次々と壊されていく上海や北京の古い街並を見て何を思うでしょう。 その中国の「不倒翁」が病に倒れ、この世を去ったのが32年前の今日、1976年の1月8日のこと。戦前、日本留学中に詠んだ詩「雨中嵐山」の詩碑が嵐山公園にあり、日中友好のシンボルとなっています。 |
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07.10.05 時刻表 |
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今日、10月5日は「時刻表記念日」とのこと。 1894年10月5日に、日本で初めての本格的な時刻表『汽車汽船旅行案内』が庚寅新誌社から出版されたことに由来しているのだそうで、この『汽車汽船旅行案内』には、列車の発車時刻や運賃のほか、沿線の案内や紀行文なども掲載されていたのだそうです。 日本初の時刻表トリック推理小説といわれた、松本清張「点と線」。1957年2月から1年に渡って旅行雑誌「旅」に連載されたこの小説は、「清張ブーム」を巻き起こし、「社会派推理小説」という言葉まで生み出しました。 事件現場が地元という事もあり、少年のころ随分興奮してこの小説を呼んだものです。 連載の年、さっそく映画化されたこの作品が、今秋新たにテレビドラマ化されます。 時代背景も原作通りに、昭和30年代の香椎の街並を再現して撮影は進められているのだそうです。 政治や官僚の癒着や腐敗を暗に批判したこの作品が、今回どのようにドラマ化されるのか‥‥ すっかり近代化された香椎の街並。便利になった反面失ったもの、これからも失い続けるものがどれほどあるのだろうなどと思いながら、ドラマの放映をひとり心待ちにしているのです。 |
07.08.09 この日ふたたび |
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午前11時2分。
今年もまた、長崎の鐘が鳴り響き、核兵器廃絶と恒久平和を願う多くの人たちが一斉に頭を垂れ、黙とうを捧げました。 「被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてほしい。」 田上長崎市長は、今年のナガサキ平和宣言の中で政府に対し、そう訴えました。 「時が経ち、世代が代わろうとも、たとえ逆風が吹き荒れようとも、私たちは核兵器のない未来を、決して諦めません。」 その物静かな語り口調は、戦争も被爆も知らない私たちの世代の胸に染み入るようでした。 |
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